2008年5月29日

ブルガリア(地方への旅行 バラの谷など)~旅の復習~

ブルガリアといえば~
ヨーグルト!!と思いつくのは私だけでしょうか?あと琴欧州。琴欧州個人的に、好きです。シャイなところと、やっぱりハンサムですよね。穏やかそうに見えるし。ニュースで優勝したと聞いて、とてもうれしく思っています。
ブルガリア人と話すまで私は知らなかったのですが、実はバラの産地、香水のもとになるダマスカスローズはかなりの割合でブルガリアで作られているって知ってましたか?
ブルガリアにはバラを見に行くのも目的でもあったので、ブルガリア2日目はバラの谷もコースに入れました。女性はバラ好きですよね。私は最近バラにはまってます。


ivan さんは、日曜だけ休みだったのですが、愛車(ホンダ)で行ってみたかった場所2箇所まで連れて行ってくれました。


◎プロヴディフ(Plovdiv)










ソフィアから車で2時間ぐらい南東にあります。6000年の歴史のある世界で最古の町のひとつだそう。今はブルガリア第二の都市。ローマの支配も受けているので、円形劇場跡あり、28世紀の貴族の建物が残っていたり(今は博物館になっていたり、ホテルになっていたりします)



半日観光にはぴったりの場所でした。旧市街は石畳だらけです。



◎バラの谷 Kazanlak(カザンラク)

残念ながら、雨が途中で降ったりしてました。
Ivanさんの友人情報で、今年は少し寒くまだ咲いていないとの情報でした。そのとおり、葉が青々としていて、バラのバもなかったです。他の街では咲いてたのに。


あまり知られていませんが、世界遺産のトラキア人の墓(レプリカでしたが)があり、そこをみつつ、バラの博物館で、バラの精油製造過程の写真蒸留の様子を見ました。


あまりに見学客が少なくて、ガイドさんも電話中になったので、無料で見学してしまった。ラッキーです。
おみやげ物やで、ローズウォーターを買い、かわいい人形(精油入り)。日本人の観光客が多いんでしょうね~おばさん日本語すこししゃべってました。


(この写真のバラはヴェリコ・タルノヴォにて。バラの谷では咲いてなかった)

さて、ここから、次の街ヴェリコ・タルノヴォ(Veliko Tarnovo)までは、電車でいけるようだったので、Ivanさんとはここでお別れ。私一人でまた電車のたびです。電車の時間を駅で確認したら、あと3分で出発というので、飛び乗りました。列車のたびはいつもいそがしい・
距離的にはあまりないにもかかわらず、どうも鈍行列車に乗ったらしく、3時間以上もかかってしまいました。
電車も1度乗り換えなきゃならず、周りにいた親切な男の子たちが教えてくれました。ブルガリア人は積極的じゃないけど、若い子達は英語がわかってるし、困っていると手を差し伸べてくれる人たちだ、ってことがよくわかりました。駅に着いたら、行きたいホテルまでタクシーの運転手に伝えてくれたり、本当に親切。


◎ヴェリコ・タルノヴォ(Veliko Tarnovo)

向こうにある丘の上の教会まで上りました。


丘からの景色は最高です

丘の上には、宮殿の跡の城壁や教会が。
旧市街は陶器を売る店も。イコン、木工の店など、小さい職人さんの店がならんでます。ここでは陶器のネックレスを購入。











この街の名前、覚えずらい。
1189年~1393年第二次ブルガリア王国の首都で、一時期バルカン半島ほとんど支配してたそう。
旧市街のツッレヴェッツの丘  ここからの景色が最高にすばらしいです。朝8時ぐらいにホテルを出発して、丘は全体は宮殿だったそうで、一番上に大主教教会があります。このなか、朝から庭の整備をしていて、草をかったり、静かに景色を楽しむことはできませんでしたが、工事要員のおじちゃんおばちゃんがフレンドリーでした。
観光客がほとんどおらず城壁の上にのったりして、(ちょっと危ない?)ヤントラ川の景色がまたいいです。丘が3つもあるので、丘に立つ家々の景色が、あまり見たことがない景色でした。建物はオレンジ色の屋根で、やっぱりトルコの家ににてるかな。

民族復興博物館に立ち寄り、かなり暑かったので、11時前ぐらいで観光をやめて、ホテルのスパでチョコレートマッサージなどやってみました。チョコレートまみれで幸せ、、
チョコレートの香りに包まれたまま、ソフィアへ向かうバスにのり、なんと3時間で到着。まったく、カザンラクからの列車が不便だったことに比べると、バスが整備されていて、きれいだこと。(テレビもあったし)
Ivanさんいわく、そんなわけで、みんなバスに乗るので、全然電車が発展しないそうです。確かにね~

2008年5月28日

セルビアから列車の旅+ブルガリア リラの僧院 ~旅の復習~

旅行気分も抜けかけてますが、先週は暑いヨルダンにいたとは考えられないぐらいの天候。寒くて、暖房が必要です。
セントラルヒーティングまたこわれちゃって、お手上げです。だいたい、布団にくるまってるか、セーター着てます。


















聖母誕聖母誕生教会(Holy Virgin Church)

4階建てで白と黒の横しま模様のアーチのなかに、外壁いっぱいにフレスコ画が書かれている(聖書の場面とこの地方の生活模様)



フレニョの塔(Hrelyo's Tower) 写真3番目
火災を免れたのがこの塔だけ。14世紀のもの。




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ブルガリア旅行のことを書いてなかったですね、ちょっと遅れましたが、ブルガリアについて。





セルビアからブルガリアに夜行の電車にのったのですが(Iさん、Mさんに送ってもらい)、この電車がまたかなり古いもので、3人用寝台車には他の住人はおらずよかったのですが、なにぶん国境があるので、パスポートコントロールがあるからノックするね、と車掌さんに言われて、かなり緊張してたのか、夜寒かったの、あまり眠れず、ノックされたときには朝の5時半。




そのあとぐっすり眠っちゃって、起こされたとき、私の時計は7時半でした。

急いでトイレ行って、コンタクト入れて、10分で急いだので、案の状、電車の中にサングラスとめがねの入った入れ物をわすれました、、やっぱり。




ここのところ、サングラスってものをなくすこと5回ぐらい、サングラスを持ってはいけないのかも、と思いつつ、最近コンタクトをするようになって、目が疲れるので購入せざるを得ないのです。。あとで、ソフィア駅に探しに行きましたが、届いておらず、Ivanさんにはここはブルガリアだからね、、あきらめたほうがいいよ。っていってました。ほんと、日本じゃないから見つからないか。



それはさておき、なんで電車から急いだのかというと、友人Ivanさん(ブルガリア人)のお宅にブルガリアでは滞在させていただくことになっていたのですが、週末に到着するようにわざわざ設定したにもかかわらず、突然、仕事のインタビューがこの日の朝8時から入ってしまったのでした。

電車が7時につけば、荷物を預かってもらえることになっていたのですが、7時半を過ぎたので、めちゃくちゃあせってたのでした。駅で変なおじちゃんに荷物を運ばれちゃって、お金は請求されるし、あせってて、汗かいてるし。

ivanさんに連絡したら、友人がかわりに迎えに来てくれるから、待ってて、ってことで、友達のParaさんがきてくれました。
私もあまり、彼の状況を把握してなかったのですが、面接のあるホテルにガイドブックをケイタイを置いておくので、それをピックアップして、彼女の家に荷物を置いて、それから、有名なリラの僧院のある町にいく大きなバスステーションまで連れて行ってもらいました。彼女は時間がない~と騒いでいたので、バスは10時半ぐらいの予定なのになんで急いでるのかと思ったら、セルビアとブルガリア、隣り合っていても時差が1時間あって、私がついたのは7時半だと思っていたら、8時半だったんですね。

思いっきりivanさん、ソフィアに私がついたときはinterview が始まるところだったみたい。本当に申し訳なかったです。結局1日テストだったみたい。

到着日はソフィア観光か、彼のお宅でのんびりしようと思っていたけれど、急遽予定を変更して、夜行便で疲れてるから、バスで日帰りでいける場所(往復5時間以上かかったのですが)に行く事にしました。疲れたらバスで寝てしまおうと思って。


リラの僧院(Rilski Manastir)はだいたい日本からの観光に含まれているブルガリアの観光名所で、世界遺産です。首都ソフィアから南に120Km。山道をいくので、時間がかかりましたが、到着したら空気が澄んでるし、雪山を遠くに望める場所です。ブルガリアちょっと郊外に走ると、もう草原で、緑がきれい。

リラは、ブルガリア正教の総本山というべき僧院で、オスマントルコの時代もこの僧院だけは、キリスト教もブルガリアの書物を読むことも黙認されていたそうです。 なんとなく、聖地というか、神がいそうな場所でした。1833年に火事でほとんど焼けてしまったそうですが、修復されています。

ここに2、3時間ぐらい滞在して、3時ぐらいのバスに乗り6時ごろバス停に着きました。さて、どうやったら市内につけるのか、、ivanさんが準備してくれたケイタイで彼に電話。


トラムにのり、7時ごろ、無事終点でivanさんに会えました。よかった~




私の前がivanさん その後ろがPara


そして、荷物をおかせてくれたParaにも会えました。夜夕食をちょっとカントリーぽいお店でたべて、帰宅です。料理は、チーズ、トマト、ヨーグルトを使っていたり、ヨーロッパとトルコのミックスなのでしょうか。食材はすべて新鮮でおいしかったです。アイリャンというヨーグルトドリンクも、コーヒーもトルコ風。バルカン半島は、セルビア以南は取るこの影響が強かったのか、建物も、食べ物もそのときの面影が残っているようです。



Ivanさんはソフィア郊外に両親と住んでいるのですが、1階をすべて自分の家のように使っているので、キッチンも、シャワーもすべて新しくて完備。本当は弟さんがリフォームしたけれど、外国にいってしまったので、彼が使っているそうです。いいなあ~



ソファーをひとつ借りてそこで 眠らせてもらいました。


Ivanさんとは、合気道で知り合いました。ちょうど1年前ぐらい2週間ぐらいの研修で東京に来てたのですが、合気道を始めたばかりのIvanさんはかなり合気道について、積極的でした。残念ながら、今は骨に異常がでてしまったかなにかで、ドクターストップだそうです。背が高くてハンサムです。
ちょっと、前の職場で、家がご近所のMさんと似てます。背が高いのと髪の毛の様子かな~ ハンサム???かどうかは、好みでしょうけど。




2008年5月25日

クロアチア (ザグレブ)~旅の復習~

たぶん世界で 一番短いケーブルカー 30秒ぐらい

/ 聖マルコ教会 左がクロアチア、ダルマチア、スラヴォニア地方、右がザグレブ市の紋章





ザグレブ メインストリート


/ 聖母被昇天大聖堂(The Catherdral of Assumption of the Blessed Virsin Mary)


/石の門  門の内部にマリア様の肖像がおさめられた礼拝堂がある。



/食べ物中心の市場










M,Iさんとの旅のうち1泊2日(5月6,7日)と隣の国クロアチアのザグレブまで泊りがけで出かけました。


ザグレブは、オーストリアみたいな町だし、ベオグラードと比べると、大きいし街がきれい。整備されている.

2年前にも観光したので私は知識があったのですが、Iさんは初めてなので、観光場所、教会、マーケット、などをまわってみました。


ネクタイの発祥の地はクロアチアってしってました? 有名なお店にも行き(何も買いませんでしたが)

チョコレートのおいしいKrasという店で大量にチョコを買い、マーケットでハーブ、木工のお土産(蜂蜜をとる道具)を、靴が安かったので、購入。(1000円ぐらいでした)

女性は買い物となると、目の色がかわっちゃって、Iさんといっしょになって、Mさんの存在を忘れて、30分以上も靴屋さんではきまくりましたね。たぶんMさん困ったことでしょう。

Iさんは2足もかったよね。東京ではいてるのかな。赤い靴。

セルビア(ベオグラード、ゼムン)~旅の復習~

ベオグラード カレメグダン公園からの景色 ドナウ川とサヴァ川/城壁

/聖サヴァ教会  東京にもこの形ににた教会がありますね。 それはロシアの教会でしたが。




ZEMUN ゼムンの町並みと教会
内部のイコン


















今日は日曜日。ロンドンのマーケットに出かけようかとも思いましたが、あいにく雨降りで寒いの、旅のブログ続けます。きのう修理の人が来て、やっと暖かいお湯が出るようになりました。そして、天気もまた以前のイギリスのように戻ってしまい、やっぱり私が行くところは、トラブル発生することが多いな、、と感じてます。その分、危険なこともないので、差し引き0ということでよしとします。



さて、セルビア、


あまり日本人の間では、知られていない国かもしれません。今そういえばユーロビジョンの歌のコンテストやってました。

独立していったクロアチア、スロベニア、モンテネグロなどは、ヨーロッパらしい町並みも多く、海、山、湖と観光資源があるのですが、セルビアとなると、観光目的で来る人はあまりいないのかもしれません。観光客をほとんど見かけませんでした。中華料理はみかけても、中国人もみかけることもなく。私たちはかなり目立った存在だったことでしょう。
私は友人がいたこともあり、特別な感情がある国でもありましたが、一般の人にはあまりなじみのない国、アメリカ寄りの報道をされていると、いい感情をもっていない人も多いと感じています。
私たちがいた間、選挙期間で、バスに乗って動員されてきた人をみかけたり、選挙報道をされていたり、皆さん盛り上がっていたようでした。ひとつの政党の党首は35歳ぐらいのイケメンでしたが、そういえば結果はどうなったんだろう?


戦争があった国は何年も発展が遅れるといわれていますが、人々の暮らしは、おだやかに流れている気がしました。
背の高さはあまり大きくもなく、小柄な人も混じっていたし、顔つきは、ヨーロッパの他の人とはまた違ってました。どこに似てるかというと、よくわからないのですが、たぶんスラブ民族なので、ロシアなのかな?両目の距離がちかくて、イコンに書かれている宗教画の顔に近い感じ?


ベオグラードの町は、徒歩やトラムでほとんど回れるぐらいの大きさで、Mさんの家も観光場所のカレメグダン公園(Kale,egdam Park)に近く、銀座通りらしき通りにも近いので、散歩がてらいろいろ観光できてしまいました。

セルビアの教会は正教会で、壁一面に宗教画が描かれていて、イコンという額にはいった、宗教画(マリア様だったり、キリストだったり聖人)が掲げられています。東で一番大きなギリシャ正教会は、イスタンブールのアヤソフィアだったのですが、これはモスクになっているので、ベオグラードの聖サヴァ教会が一番大きいそうです。ところが、外観はすばらしいのですが、内部はまだ建設中。Valentinaによると、いつ完成するかは未定とのこと。


ベオグラードにはドナウ川とサヴァ川があり、このドナウはドイツから、ブルガリアを通って、黒海に注ぎ込みます。 緑が多くて、セルビア人はよく山に出かけるそうです。休日は緑を見に行きたいみたい。 日本よりはるかに緑は多いです。平日昼間でも公園には人がたくさん。おじいさんたちだけではなく、若い人の姿もあります。

セルビアのファッションですが、私が気がついたのは、濃い目のピンクを女性、子供がよく身に着けてました。友達は緑が好きといってましたが、ピンクも身に着けていて、セルビアで好まれている色なんだなと思いました。私もピンクをもってくればよかった。 セルビアっ子になれるかも。




最終日、5月9日にはゼムンという隣町をバスで散策し、この夜私は電車でブルガリアに向かいました。

ドナウ川をはさんで北側にあるので、ここから先はオーストリア、南はトルコだったこともあり、オーストリアらしい建物を見ることができます。教会もオーストリアで見かけたような形の塔があり(中はカトリックじゃなく、正教会でしたが)プチオーストリアを楽しめる?ところでもあります。

ちょっと郊外なので、それほど大きすぎもなく、散策するのにぴったり。またまたつれてきてくれたMさんに感謝しなければ。

夜行列車でブルガリアに向かったので、駅までM、Iさんに送ってもらい、お別れ。1週間あっという間でした。久しぶりに、友達との共同生活だったので、楽しかった。学生に戻ったみたい。Mさん宅で日本食を食べていたので、食べ物が恋しくなることもなく、ありがとうございました。


このお礼は、いずれ、、日本に帰ってから~ 

Iさんも無事 帰国したとの連絡をもらいました。よかったです。お土産で買ったものは、みんなに配ったのかな?評判はどうだったのか気になります。私の場合、チョコレートはちょっと甘かったみたいです。

2008年5月23日

セルビア(ベオグラード 友人との再会) ~旅の復習~
































右から


セルビア人の写真家の展示があり、日本での写真(高層ビルや日本人の顔など)がありました。これは展示の一部で「友人」 「愛」もありました。Valentinaととったので、これがまた面白い。





/valentinaと二人で市内観光。ここはよくセルビアのスポーツでよい成績を上げたりすると、市民がこの広場に集まるそう。





/レストランにて。Mさん、Iさんと。後ろに写っているのがモザイクと、日本とセルビアの旗





/Valentinaと妹のJelena, Jelenaのボーイフレンドと一緒に食事です。

/これが前菜。 白いのがカイマク。

/ベオグラードの凱旋門、ランドマーク的なビル。形が変わっているけど、これを見るとベオグラードに帰ってきた感じがします。



















セルビア旅行では5月5、8、9日と3日ぐらい、滞在先のベオグラードで観光&のんびりしました。


今回のセルビア行きは、たくさんの人の協力なしにはできなかったのですが、まずは、それを思い立ったのも、10年ほど前にフランスで知り合ったセルビア人の友達 Valentinaの存在があります。


カードを送ったり、2年前にクロアチアを旅行したときに、また連絡をメールで取り始めたりして、このところ遠く国にいながら、いつも連絡が取れる状況にあったので、10年ぶりということは感じませんでしたが。


Valentinaが招待してくれた、セルビアの料理の店がおいしいのなんのって。肉は豚や牛だったと思いますが、とろけてるし、カイマクというチーズ(牛乳でつくる湯葉のようなもの)がおいしい!!
レストランで食べましたが、クリームチーズのようなかたさだったりでしたが、そこで食べたのはもう本当にクリーミーでとろける感じ。できたてほやはやは、あんなにおいしいとは。チーズはあまり得意ではないのですがあれは絶品。
料理も、これでもか、これでもか、というぐらいの量で、前菜だけでもいっぱいなのに、肉のお皿が3、4回出てきました。そして、最後にデザートのパンケーキまで。量が多いとは思っていたけれど、それまで一皿を3人で分けてきてちょうどよかった私たちのおなかは、もう途中からはちきれそうでした。

私はお酒は得意じゃないですが、ワインもおいしかった。

レストランでは、セルビアの昔の民族衣装をお店の人がきていて、ついたときには日本とセルビアの旗までおいてあった。Valentinaにどうやっててにいれたか聞いたらそれは秘密とのこと。たぶん彼女がさがして、準備してたんだと思います。

隣には有名な正教会No2といわれている方(黒い服に長いひげ)も食事をされていて、驚きました。このレストラン、内部装飾に協会のモザイクのようなものでイコン(正教会に飾られていて、この絵にみんなキスしたり祈ったりしています)のようなものが壁に装飾されていました。建物も木組みでできていて。


いまは地球の歩き方にセルビアのページが増えましたが、2年前はあまりのっていなかったので、彼女にガイドブックを以前もらっていたので、それをみながら、計画を練ったのですが、危険な地域や、車で行くには不便な地域もあるので、また次の機会ね!!といわれました。1週間は短いですね。


前の職場で、ベオグラードにオフィスができることになり、そのときの上司とMさんが後輩だったので、Mさんに彼女を紹介して、ベオに行く際には、Mさん宅に滞在させてもらえることになりました。
本当にありがたいお話です。

IさんはMさんの友人かつ、この前まで一緒に働いていた友達で、今回日本から一緒に参加することになりました。Iさんがいなくても、Mさんのところにいけなかったかもしれないので、Iさんにも感謝してます。3人での共同生活、なんだか楽しかったです。ボスはもちろんMさんですが、私たちはのんびりやなので希望をききつつ、観光に連れ出してもらいました。 かなりわがままも行ったかもしれません。


セルビアではIさんがお休みをとってくれたので、ザグレブに遠出したり、ベオグラード以外の町にも車で行くことができました。国際免許書を持っていった私は、マニュアルカーであったり、右側運転だったりすることに躊躇して、結局Mさんのお手伝いはできませんでした。
家では日本料理やらご馳走になり、一人一部屋づつ確保していただいたり、お世話になりっぱなしでした。

ベオグラードはこじんまりした町で、ヨーロッパ風の銀座のようなショッピング通りがあったり、社会主義らしい、コンクリートの塊のような建物があったり。私にしてみれば、十分ヨーロッパらしいですが、Mさんいわく、それが混じっているので、ヨーロッパを見たいときは、ノビサドや他の国に行くそうです。

ベオグラードを離れて戻るときは、この凱旋門のような奇妙な建物が目印で、一種ランドマークみたいなのですが、ここに一面布の広告がかけてあったりして、あまりきれいでないコンクリートの表面を隠しているようです。最初は奇妙と思いましたが、だんだん、愛着が。不思議なものです。

無事 ロンドン到着

ふー

ロンドンは帰ってきたのはおととい。昨日は買い物、掃除、そして睡眠、後片付けのおわれましたが、
今日はやっと、ブログをかけるようになりました。

おとといのロンドン、予定より早く30分も前(3時15分)にヒースローに着いたものの、入国審査に2時間もまたされ、その後、荷物もどこかにいってしまい、ロンドンのフラットに着いたのが7時半。まったく、いきよりもひどい状態でした。日本の入国も日本人以外は待たされてるよね。そういえば。

ヨルダンの暑さに比べるとここは涼しいし、空からのながめは緑が多いこと。水事情はヨルダンよりはるかに優れていますね。はい。

しかし、、フラットに帰ると、ちょうどバスルームの鏡を取り付けたりばたばたしていて、その間にお風呂のお湯がまたでなくなり、汚い私はこのまま寝ることになってしまいました。

Oさんの家のほうが快適でした。おー戻りたい!!

昨日はまたポットでお湯を沸かしその貴重なお湯をつかって、水浴びというかお湯浴びです。まったく、ここはロンドンなのに!銭湯に行きたいよう。ヨルダンはそういえば、Turkish Bathもあったよな。イギリスはないので、プールに行くしかないかな。

イギリスの天気は、雨はあまり降っていないようだけど、私が行くところではどうもトラブルが発生しそうでこわいです。雨女ですが、ヨルダンでは雨はなかったです。降らせられればヨルダンでは、きっと大人気でしょうね。


今日から徐々に、旅行の復習を始めようかなと思っています。セルビアの途中からとブルガリア。
どの国もよかったなあ。特に野菜、フルーツ、肉が新鮮でおいしい。イギリスにもどってスーパーに行ったらがっかりします。どの国にもいえますが、物価が安くて食べ物は安い。でも、娯楽はあまりないと思う。


帰ってきたら、トイレットペーパーもティッシュもなくなっていて、がっくり。ティッシュ1箱350円ですよ。馬鹿みたいでしょ。けちな私は、トイレットペーパーのやわらかめのものを購入して、しばらくティッシュ代わりにすることにしました。
フラットの友人には笑われたけど、この際いいのだ。トイレットペーパーなら山のようにあります。

しばらく離れている間にイギリスポンド高くなったのか安くなったのか、ちょっと調べるのがこわいです。

2008年5月20日

死海の泥パック マスク




顔にも手にも足にもパック中。
アンマン最終日 お土産をかねて、泥パックを購入です。

昨日のドンキーにのってすれたところにこの死海の泥がしみること。
15分ぐらいして乾かしたら、温かい水で流しておしまい。たくさんのブルガリアで買ったローズウオーターと、クリームでピカピカ、つるつるです。

後はパッキングして、お土産が入りきらずどうするんだろまったく。

2泊3日の遠出(ペトラ編)












siqシークと呼ばれる岩の間を歩くと、エルハズネ(El Khazneh)というナバタイ人の霊廟がある(写真最後) インディージョーンズの撮影が行われたことで有名



エルハズネとエドディル(Ed Deir)は似ているけれどもこちらは修道院(写真2番目)



ベドウィンのアリ君がドンキーで絶景スポットに連れて行ってくれました。













ワディラムの出発時間がらくだに乗っておくれたので、ぺトラへ行くのも遅れてしまったのですが、出発まで時間もあり、ワディラムのツアーの運転手さんが紹介してくれたお土産の店に荷物を置かせてもらって、Oさんの勧めたとおり昼食を遺跡の外で購入し、11時ごろからぺトラへ。


ぺトラはナバタイ人によって造られ、べドウィンがすんでいる、「インディジョーンズ最後の聖戦」が撮影された場所で、ここは、世界新7大不思議にもえらばれ、(もちろん世界遺産です)そのためか、日本人の団体観光客が多いです。一番多かったのは、フランス人、イタリア人でしょうか。


ヨルダンで一番きたかった場所なので楽しみにしてました。どうしても、きたかったので、一人でくることになったけれど、ヨルダンは一人特に女性が観光するには、かなり難しいです。イスラムというのと言葉が地方では通じにくい、観光客はツアーが多かったり、数人で観光するので一人で旅行すると、かなり高くつくし、安い公共の交通機関の時間が、旅行者むけでなかったりして、予定が立てづらい、などの理由があります。


遺跡は、とても広く1日ではすべて観光するのは無理。とにかく、このエルハズネは見たかったので他の遺跡は横目でみながら、ずんずん進み、シークという岩に囲まれた道を通り過ぎると、すっかり開けた場所に、エルハズネが突然現れました。紀元前2、1年のもののようです。インディジョーンズ、もう一度みてみよう。


ここでから博物館までいそいでいって、予定より1時間以上はやくついたので、景色のいいところまで岩場を登り、昼食。砂漠昼間歩くのは、かなりつらく、それでも一番季節のいいときにきたのですが、日陰は風があって、最高にきもちがいいです。景色もいいし。


食事後、さらにここから1時間のぼっていく、エルディルまで足を進めることにしました。ここまでがのぼりなので、つらいこと。道すがらの岩場にべドウィンがアクセサリーやお土産のお店をだしたり、ドンキー(ロバ)タクシーをみたり。ヤギもいたかな。


エドディルも紀元後1世紀のもの。高さ45 幅50mとエルハズネより大きめです。


ここから急いでもどり、ベドウィンのお店でアクセサリーを購入したり、博物館で王室が援助している女性の職業向上のためのアクセサリーショップでピアスを買ったりしていましたが、そのあと、炎天下でつかれてしまって、あと1箇所観光するには岩場を登らねばならず躊躇していたら、そこで、ベドウィンの男の子2人にありました。


彼らは入り口まで歩くと1時間半だけど、山道をドンキーで行くと40分というので、15JD(2000円ちょっと)ぐらいしましたが、お願いすることにしました。話をきくと一人はもう21歳でおとな。タバコもすってました。そういえば、ベドウィンはみんなたばこをすってたな~ 娯楽がたぶんタバコとチャイなのかもしれません。


かなり急な山道をのぼったり降りたり、かなり器用にドンキーが動くので、特に降りるところがこわかったけれど、金具を前と後ろでしっかりつかんで、アリくんが、たたいたり、口笛をふいたり、途中で草を食べされたりしながら、一番眺めのいいところに連れて行ってくれました。(写真あり)


アリくんベドウィンはそのあたりの岩場に住んでいて、以前も観光できていた韓国人の男性が1週間ぐらい滞在したことがあるそうです。私も勧められましたが、Oさんの寝袋がそこになかったので、あきらめました。 お茶やヤギのミルクをご馳走してくれるみたい。


景色のいいところで、話したり、ケイタイで音楽を聴いたり、ベドウィンマッサージ(肩もみ)をしてもらっていたら、あっというまにバスのチケットを購入しなければいけない時間(4時半)になってしまい、いそいで遺跡の入り口までいっしょにドンキーに乗ったりして、入り口が見えるところまでついたのが4時45分。どんきーより 私が走ったほうが速いので、入り口まで道なき岩場をはしること10分~~ 


アリくんはかなり疲れてしまって、私が去った後は脱水症状みたになって、その場で倒れてました。


今度はいつくるの?といって分かれましたが、とにかくバスに間に合うかわからず、バスにのれなければ明日かも?と叫んで分かれました。本当に純粋でいい子達ばかり。自分もあんな素直な気持ちで純粋なときがあったな、と思いました。



もう5時出発のバスの目の前に着いたのが4時59分。荷物は近くの土産物屋さんにあったので、運転手さんに頼み込んで、5分でタクシーで帰ってこれたら待ってるといわれ、まわりにいた、お客さんをまっていたヨルダン人のお兄さんが、タクシー代わりをつとめて、超ダッシュでもどってこれました。


汗だらだらかいて、アンマン行きのバスにのれ、3時間ほぼ熟睡でした。


いやー本当に大変、忙しい1日でした。でもかなり凝縮して、見たものや感じたことがある1日でした。

Oさんと分かれて1日半なのに、話すことが山のようにあり、やさしいOさんは最後まで話を聞いてくれました。今回の旅行は本当にOさんのおかげでできたので、感謝してます。ありがとう。